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コラム, 図書の棚

「無駄じゃない無駄話」

 この年齢になって初めて気がついたことがあります。それは「無駄話は大切」ということ。気づいたきっかけは昨年末の、知人達との食事会でした。
そこに集ったのは私を含め男女4人。復興関係の活動をしている人ばかりです。仕事の都合で1時間遅れて店に着いた私は、「今後の取材に役立つ話を聞かなくては」と気を引き締めながら店のドアを開けました。しかしそこには既に出来上がった酔っぱらい3人の姿が。普段はシャキッとした表情で人々をまとめている知人達が、笑い転げたり、目が据わっていたり、まるで別人の集団のようでした。

 頭の回転が速い人が酔うと回転速度が増すのか、一つの話題が出たかと思うと、ものすごい勢いで皆が食いついて自分の意見を畳み掛けるように言い、結論が出る前に次の話題に移るという繰り返し。急勾配の坂道を皆で一つの団子になり、猛スピードで転がり落ちる気分でした。
アルコールアレルギーのためお酒が飲めない私は「こうなったら流れに身を任せるしかない」と捨て身で参戦。結局、4時間近く続いた食事会で復興関連の話が出たのは15分程度。他はお世辞にも意味があるとは思えない無駄話でした。

 しかしあっちの坂道、こっちの坂道を転がり落ちているうちに、意外にも心地良くなってきたことに気がつきました。そしてもっと意外だったのは、3時間45分もの無駄話を終えると、仕事で凝り固まっていた頭の中がスッキリと整理できたこと。
人間は頭に抱え込んだモヤモヤとしたものを、まったく違う話題から答を抜き出す能力があることを、その時に知りました。

 職業柄、常に複数のモヤモヤを頭に抱えている私には、目からうろこの大発見。
それ以来、仕事に詰まって頭がカチコチになるたびに「1時間だけランチしませんか?」「お茶しませんか?」と知人を誘い出しては無駄話に講じています。
気がつくと、いつの頃からか、用事がないと人に会わない大人になっていました。若い頃は友人達ともっと無駄話をしていたのに。ダラダラとした会話の中で気づかされたり、励まされたりして育ってきた時代が私にもあったのに。

一見無駄だと思うものの中に、実は今の自分に必要な何かが隠されている。
人との対話は宝探しのようで面白いものだと、この年になってしみじみ感じています。

(2014年1月14日付・河北新報掲載)

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