シニアになったので、シニア成長記のコラム連載始めました。

人は突然
シニアになるのではなく
シニアとして
成長していくもの…?

シニア入門日記(WEB版)-1

「年齢はただの数字」。
幼い頃から世間を斜めに見る性格だった私は、他者を年齢や性別、国籍などで区別しない「ボーダーレス」な視点で生きてきました。

その根底には、「私自身も年齢などに縛られて、誰かから自分がしたいことを制限されたくない」という漠然とした思いがあったような気がします。

そんな私が迎えた還暦。
「60歳なんて干支を5回経験しただけ」とカッコ良く言い放つはずが、誕生日当日は無性にソワソワと落ち着かず、「今日から年齢を問われると『60歳です』と答えるのか」と想像しただけでドキドキ。

近所のスーパーの「シニアサービスデー」にメンバーズカードを持って、レジに並ぶ自分の姿を思い描いては、現実味のない夢を見ているような、不思議な感覚に囚われていました。

だからと言って、自分の年齢が恥ずかしいわけではなく、「歳をとるのが嫌」という思いがあるわけでもありません。

ドキドキソワソワが一体どこから生じるのか、自分の感情を分析してみると「こんな私がシニアになっちゃっていいんですか?」という遠慮があることを発見したのです。

50代後半から連載していた漫画「五つ星シニアを探せ」「人生はミルフィーユ」では、シニア予備軍であった私が、素敵な生き方をしている先輩シニアを探訪したり、理想的なシニア道を模索したりするという内容でした。

そうやって準備していたはずなのに、60歳の誕生日を迎え、いざ本物のシニアになってみたら現実の私は全く素敵ではなく、未熟な人間のまま。

もっと含蓄のある、どっしりと構えたシニアになる予定だったのに…おかしい。

理想と現実との乖離に、仙台弁で言うところの「いずさ」を感じていたようです。

そのとき思い出したのは、長女を出産した直後のこと。

周囲の人から突然「お母さん」と呼ばれるようになり、猛烈な「いずさ」を感じましたが、しばらくして母親業に慣れると「お母さん」「ママ」と呼ばれることを自然と受け入れられるようになりました。

その体験で実感したのは「人はある日突然、親になるのではなく、親として成長していくものなんだ」…ということ。

人は突然シニアになるのではなく、シニアとして成長していくものなのかもしれません。

どんなシニアに育っていくのか。私の等身大の成長日記を、この連載でつづっていこうと思います。

河北新報2024年12月5日掲載
「井上きみどりのシニア入門日記」