世界的な感染症被害で
先行きが見えない毎日が続いていますが
皆さん、いかがお過ごしでしょうか?
強い不安を抱いて
落ち着かない日々を過ごしている方は
少なくないと思います。
私も今週は
予定していたWEB漫画の公開がありましたが
どうしても手に付かず、
公開の延期をさせてもらいました。
こんな時に「漫画描き」に何が出来るか、
考えると少し虚しいです。
ブログにも何を書けば良いのかわからず、
更新を怠っていました。
だから今日は
写真も絵も付けず、
一人の生活者としての今の思いを
書いてみることにします。
ここ数日間、
私の頭の中にモヤモヤと渦巻いていたのは
東日本大震災直後にも囚われたことがある、
ある思いでした。
「私はこんな時代に
自分の子ども達を世に送り出したんだ」
その思いを最初に感じたのは
9年前の3月。
物資不足と強い余震に見舞われ続けた
被災生活の中、
隣県の福島原発の状況が
日ごとに悪化していったある日のことでした。
千年に一度と言われる
大災害が起こったこの時代で
生きていかなくてはならない娘達に
母親として、申し訳ない思いで
涙が止まらなくなった記憶があります。
その後、
高校生と小学生だった二人の娘達は
震災をたくましく、
しなやかに生き抜いてくれました。
自分のことだけにとどまらず、
ボランティア活動に取り組む彼女達の姿から
私は一人一人の人間が持つ底力が
どれほど強く、
柔軟なものであるかを学びました。
そしてこの世界的パンデミック。
たった9年の間に
震災とパンデミックという異常事態を
自分の子ども達に体験させることについて
私は母親として
どう受け止めたら良いのか?
なぜ、私たちは・・・
今の時代の子ども達は
このような「大災害」を2度も経験しなくては
ならなかったのか?
9年前よりも冷静であったものの、
再び親としての自責の念に駆られました。
東北以外の方々には
もしかしたら理解しにくい感覚かもしれません。
「大袈裟に捉えすぎだよ」と
笑われるかもしれません。
一方で、東北の親御さんの中には
同じ思いを抱かれている方は多いでしょう。
しばらく悶々としたのち、
あることに気がつきました。
70年前の戦中も
大規模な疫病が流行した時代も
世の中の親は
同じ思いに駆られたのではないかと。
それでも
物資も情報も手に入らない、
混沌とした世の中で
そして医療が整っていない時代であっても
人間は生き抜いてきた。
残念ながら
多くの命を失ってしまったのも事実だけど
それでも人間は生きてきた。
どんなに先行きの見えない不安にかられても
心がザワザワしても
その事実は忘れてはいけない。
子ども達に伝えなくてはならない。
そう思いました。
同時に、
長期化が免れないこの異変の中、
私に出来ることは何か?を考えています。
たった一人の
力を持たない市民である私に
出来ることは?
今週はたっぷりと悶々としたので
これからは手探りをしながら
行動していくことにします。
どんなことが出来るかわからないけれど、
決して大きなことは出来ないけれど、
それが私の
「こんな時代に子ども達を世に送った」親としての
使命であると感じています。
9年前は娘達の姿から
人間のたくましさを学びました。
今度は私が
「人間って強いんだな」ということを
成長した娘達に見せたいです。
人間は弱いけれど
強い底力を持っている。
そう信じて・・・。