取材写真で
実際の「おさとうやま」を体感。
旧・野蒜駅(現在は「震災伝承館」)の
北東にある
こんもりとした山が「おさとうやま」です。
道路をぐるっと回り込むと
こんな入り口が見えてきます。
最初に目を見張るのが
手作りのこの階段!
とても65歳のシニアが
一人で築いたものとは思えません。
薮を払って道をつけるだけで
何ヶ月もかかったとか。
おさとうやまには
たくさんの階段が。
「高齢者も上がれるように
手すりをつけた」という佐藤さん。
階段を上ると
最初に現れるのが「避難所」。
津波の後、ここで数十人の住民が
肩を寄せ合って過ごしました。
「避難所だから備蓄が必要」と
震災前から電気を引き、家電を揃えて
災害用食料品や水も運び込んでいたそうです。
ここで寛いで飲むお茶を気に入って
書家であった佐藤さんの叔父様が
「喫茶去」と名付けてくれたと
誇らしげな表情でお話ししてくれました。
残念ながら名付け親の叔父様は
津波の犠牲に。
「ほとんど毎日ここに来る」という佐藤さん。
まるで別荘のような素敵な佇まい。
周りを取り囲む緑と
ご夫婦お二人の姿があまりに美しくパチリ。
(奥様のご希望で写真や漫画では
奥様のお顔を隠しています)
「建てる前は建築の知識なんて
全くなかった」と言う佐藤さん。
それにしても素晴らしい出来栄えです!
避難の名残りを感じさせられる
洗い場。
避難中は大活躍だったことが想像できます。
「避難所」の奥には
最初に建てた東家(あずまや)が
ひっそりと訪れる人を待っています。
とても神々しい雰囲気。
東家の前はお茶が飲めるスペースがあり
ここには健康な人や、男性などが
寝袋で避難したそうです。
このスペースは初夏になると
いくつもの紫陽花が咲き乱れるとか
桜の木も数本あり、
花の季節には華やかな雰囲気になると
お話ししてくれました。
東家と紫陽花の広場から階段を上がると
野蒜海岸と野蒜のまちを
ぐるっと見渡せる「展望台」が。
東日本大震災当日、
佐藤さんはご家族とここで
押し寄せてくる津波を見つめていました。
「展望台」から階段を降りたところは
「紅葉と栗の広場」
11月には紅葉の葉っぱで
一面が真っ赤になるということです。
紅葉観賞用のハンモックもありました。
「果樹と憩いの場」へ続く
最後の階段。
ブドウ、桃、りんご、キウイ、
そしてアフリカ原産のポポーまで!
たくさんの果樹が植えられたここは
さながら果樹園のようでした。
お茶っこサロンのような建物も。
私は何度か訪問しましたが
いつ訪問しても
この果樹広場には優しい風が吹いていて
心が解けていく感覚を味わいました。
「悲しいことがあった場所」だけど
強い信念を抱いて
山を開拓した佐藤さんや
佐藤さんを支えた奥様とご家族、
そして訪問する人々の
平和を願う気持ちが
この場の柔らかい雰囲気を作り上げて
いるような気がします。
「次の災害のために」と
今でも
改修工事の手を止めない佐藤さん。
訪問した時も何度もやり直しながら
丈夫な階段を造っている最中でした。
出来上がった階段を上がる佐藤さん。
現在、87歳になり
動作はゆっくりです。
自慢することもなく
ご本人が静かに語って聞かせてくれた
「おさとうやま」の物語。
佐藤さんの言葉には
ハッとさせられるものが多々あり
今後の防災と
人生について
様々なことを気付かされました。